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含み損が-50pips。本来のルールでは-30pipsで損切りすべきだった。しかし-30pipsを超えた瞬間、脳内でこんな声が響く。
「ここまで耐えたのだから、今さら切れない。」
この「ここまで耐えたのだから」——この一言が、FXで資金を壊滅させる最大の原因の一つだ。
行動経済学では、この心理をサンクコスト効果(Sunk Cost Effect / 埋没費用の誤謬)と呼ぶ。すでに投資した時間・資金・労力が回収不能であるにもかかわらず、「それを無駄にしたくない」という感情に引きずられて非合理的な判断を続けてしまう認知バイアスだ。
プロスペクト理論が「損失の痛み」を科学的に説明するなら、サンクコスト効果は「過去への執着」を科学的に説明する。この2つのバイアスがFXトレーダーの脳内で同時に作用するとき、損切り不能とナンピン地獄の連鎖が始まる。
サンクコスト効果とは何か——Arkes & Blumer の原典から
学術的定義
サンクコスト効果を学術的に体系化したのは、心理学者Hal R. ArkesとCatherine Blumerの1985年の研究だ。彼らは「すでに発生した回収不能なコスト(サンクコスト)が、本来それとは無関係なはずの将来の意思決定に影響を与える現象」を複数の実験で実証した。
Arkes & Blumerの有名な実験の一つにこんなものがある。
スキー旅行の問題: 100ドルのミシガン行きスキー旅行チケットと、50ドルのウィスコンシン行きスキー旅行チケットを購入した。しかし両方の日程が重なっていることに気づいた。ウィスコンシンの方が楽しそうだと分かっている。どちらに行くか?
合理的な答えは「楽しそうなウィスコンシン」だ。どちらの出費も既に回収不能(サンクコスト)であり、将来の楽しさだけで判断すべきだから。しかし実験では多くの被験者が「100ドル払ったのだから」とミシガンを選んだ。
これがサンクコスト効果の核心だ。過去に払ったコスト(取り返せない)が、未来の判断(まだ変えられる)を歪める。
コンコルド効果——政府規模のサンクコスト
サンクコスト効果はコンコルド効果(Concorde Fallacy)とも呼ばれる。1960年代、英仏政府が共同開発した超音速旅客機コンコルド。開発途中で経済的に採算が取れないと判明したにもかかわらず、「これまでの巨額投資が無駄になる」という理由で開発を続行し、最終的に莫大な損失を出した。
このプロセスをFXの含み損ポジションに置き換えてみよう。
- 採算割れ判明 → 損切りラインに到達
- 「ここまでの投資が無駄になる」 → 「ここまでの含み損を確定させたら今までの我慢が無駄」
- 追加投資を継続 → ストップロスを移動、またはナンピンで追加ポジション
- 最終的に莫大な損失 → 強制ロスカット
あなたの含み損ポジションは、あなた個人のコンコルドだ。
FXにおける3種類のサンクコスト
サンクコストには3つの種類がある。Arkes & Blumerの原典ではmoney(金銭)、time(時間)、effort(労力)に分類されている。FXにおける各類型を整理する。
①金銭的サンクコスト——含み損の金額
| 具体例 | サンクコスト効果の現れ方 |
|---|---|
| 含み損-50pipsを抱えている | 「-50pipsを確定させたくない」→ 損切りを先延ばし |
| マイナススワップが累積している | 「スワップ分も含めてプラスに戻したい」→ 長期保有を正当化 |
| スプレッドコストを支払い済み | 「せめてスプレッド分は回収したい」→ 薄利で決済すべき場面でも粘る |
原典の実験結果によると、金銭的サンクコストが3種類の中で最も強い効果を持つ。FXにおいても、含み損の「金額」が大きくなるほどサンクコスト効果は強力に作用する。
②時間的サンクコスト——費やした時間
| 具体例 | サンクコスト効果の現れ方 |
|---|---|
| 2時間チャートを監視し続けた | 「ここまで見ていたのだから、何かトレードしないと」→ 無理なエントリー |
| 深夜まで起きてNY時間を待った | 「せっかく起きているのだから」→ 条件を満たさないエントリー |
| 含み損を3日間耐えた | 「3日も耐えたのだから、もう少し待てば戻るはず」→ 損切り先延ばし |
時間的サンクコストは金銭的サンクコストほど研究されていないが、FXではチャートを見続ける時間が長くなるほど「何かしなければ」というバイアスが強まり、無謀なトレードの原因になる。
③分析労力のサンクコスト——知的投資
| 具体例 | サンクコスト効果の現れ方 |
|---|---|
| 綿密なシナリオを構築した | 「あれだけ分析したのだから、このエントリーは正しいはず」→ 損切り遅延 |
| RSI、BB、フラクタルを全て確認した | 「3つの指標が揃ったのだから間違いない」→ テクニカルの無効化を受け入れない |
| ファンダメンタルズ調査を行った | 「ファンダ的には正しい方向だ」→ 短期の逆行に耐え続ける |
分析労力のサンクコストは日本語FX記事でほぼ語られていないが、実は非常に危険だ。「分析に時間をかけた=正しいはず」という因果の混同が起こり、マーケットが自分の分析と反対に動いているという事実を受け入れられなくなる。
コミットメントのエスカレーション——「追加投資」の心理
サンクコスト効果の結果として発生する行動パターンを、組織心理学者Barry Staw(1976年)はコミットメントのエスカレーション(Escalation of Commitment)と名付けた。
Stawの研究は「膝まで泥に浸かって(Knee-deep in the big muddy)」という比喩的なタイトルで発表された。一度始めた行動がうまくいっていないにもかかわらず、過去の投資を正当化するためにさらに追加投資を行い、泥沼にはまっていく現象だ。
FXにおけるエスカレーションは、以下のパターンで現れる。
段階1: エントリー。根拠は明確。SLも設定済み。
段階2: 含み損発生。SLに到達する前に「もう少し待てば」と判断し、SLを遠ざける。(最初のエスカレーション)
段階3: 含み損拡大。「ここまで耐えたのだから」と追加ポジション(ナンピン)を取り、平均取得価格を改善しようとする。(2回目のエスカレーション)
段階4: さらに逆行。証拠金維持率が低下。「ここで追加入金すれば耐えられる」と口座に追加資金を投入。(3回目のエスカレーション)
段階5: ロスカット。最初の-30pipsの損切りで済んだはずの損失が、口座全体の崩壊に至る。
この5段階のエスカレーションは、各段階でサンクコスト効果が「前の段階で投資した分を無駄にしたくない」という動機を生み、次の段階への追加投資を合理的に感じさせるメカニズムだ。
プロスペクト理論×サンクコスト効果——5段階の相乗メカニズム
サンクコスト効果は単独でも危険だが、プロスペクト理論と組み合わさると破壊力が倍増する。2つのバイアスがどう連鎖するかを整理する。
Step 1:損失回避性が損切りのハードルを上げる
プロスペクト理論のλ=2.25が示す通り、損失確定の苦痛は利益確定の喜びの2.25倍。損切りボタンを押す行為そのものが心理的に困難。
Step 2:サンクコスト効果が二重の苦痛を追加する
損切り=損失確定の苦痛(Step 1)に加えて、「ここまで耐えた時間・分析した労力が無駄になる」という別種の苦痛が上乗せされる。2つの苦痛が重なり、損切りは事実上不可能に。
Step 3:ポジション保持が継続する
損切りできないまま含み損が拡大。
Step 4:感応度逓減性が追加損失への感覚を麻痺させる
プロスペクト理論の感応度逓減性により、-50pipsの含み損が-60pipsになっても追加の心理的苦痛は小さい。「もう少しくらい大丈夫」という感覚が生まれる。
Step 5:サンクコスト効果がエスカレーションを後押しする
感覚が麻痺した状態で、サンクコスト効果が「ここまでの含み損を無駄にしないためにナンピンしよう」というエスカレーションの動機を提供。追加ポジションを取る→さらに含み損が拡大→さらにサンクコストが増大→さらにエスカレーション……という負のスパイラルが完成。
FXトレーダーの40%がサンクコスト効果に陥る——調査データ
LuxAlgo社が2025年に発表した調査によると、5,000人のリテールFXトレーダーのうち40%がサンクコスト効果の罠に陥り、そうでないトレーダーと比較して23%高い損失を記録した。
同調査では、損失ポジションに追加投資(ナンピン)したトレーダーの68%が初期リスクの2.8倍の損失を被ったことも報告されている。
これらの数字は、サンクコスト効果が「知っていれば防げる些細な心理的偏り」ではなく、統計的に有意な損失増大要因であることを示している。
ゼロベース思考——サンクコスト効果を無力化する判断基準
サンクコスト効果を克服するための最も強力な思考ツールがゼロベース思考だ。
判断基準
含み損を抱えたポジションに対して、以下の問いを自分に投げかける。
「今この瞬間、ポジションがゼロだとする。この価格で、同じ方向に新規エントリーするか?」
- 答えがYes → ポジション保持は合理的。
- 答えがNo → 即座に決済。
この問いの核心は、過去の投資(含み損額・費やした時間・分析の労力)を一切判断材料に含めないことだ。過去はサンクコストであり、回収不能。未来の判断に影響を与えるべきではない。
Charles Schwab(米大手証券会社)も投資教育コンテンツで同様のアプローチを推奨している。「過去の投資ではなく、現在のファンダメンタルズとテクニカルに基づいて判断せよ」。
ゼロベース思考が難しい理由
ゼロベース思考は概念としては単純だが、実践は極めて困難だ。なぜなら、プロスペクト理論の損失回避性とサンクコスト効果が同時に「過去の投資を捨てるな」と脳に命令するから。
だからこそ、ゼロベース思考を「意志の力」ではなく「仕組み」で実行する必要がある。以下の6つの機械的対策は、ゼロベース思考を自動的に実行するための仕組みだ。
サンクコスト効果を克服する6つの機械的対策
対策①:エントリー前にSLを設定し、一切変更しない
ギャン理論のルール2「毎回ストップロスを設定せよ」とルール16「一度入れた損切りをキャンセルしてはならない」。ギャンがこの2つを別々のルールにしたのは、「設定すること」より「変更しないこと」のほうがはるかに難しいと知っていたからだ。
SLを変更したくなる瞬間こそ、サンクコスト効果が最も強く作用している瞬間だ。SLを遠ざける行為は「ここまでの含み損を無駄にしたくない」というサンクコストに基づく非合理的な判断そのものである。
具体的な実行方法: OCO注文で機械的にSL/TPを設定する。設定後はチャートの確認頻度を下げる(後述の対策⑤と連動)。損切りルールの具体的な作り方はこちら。
対策②:ポジション評価にゼロベース思考を適用する
含み損ポジションを保有中に、15分ごとのアラームで以下の問いを自問する。
「今、ポジションがなかったとして、この価格でエントリーするか?」
答えがNoなら決済。ここで重要なのは、含み損の金額、費やした時間、行った分析を一切考慮しないことだ。判断材料は「今のチャート」と「今のテクニカルシグナル」だけ。
対策③:トレード日誌に「サンクコスト判断」の欄を設ける
トレード日誌に以下の項目を追加する。
- SLを変更したか? (Yes/No)
- 変更した理由: 自由記述
- ゼロベース思考で判断したか? (Yes/No)
- サンクコスト的な理由でポジションを保持したか? (Yes/No)
2〜3ヶ月分のデータが溜まると、サンクコスト効果に負けるパターンが統計的に見えてくる。「含み損が-30pipsを超えるとSLを変更する確率が急上昇する」「深夜のポジションは時間的サンクコストで手仕舞いできない傾向がある」——こうした具体的な弱点を特定できれば、対策も具体的になる。
対策④:ポジションサイズを小さくする
サンクコスト効果は投資額が大きいほど強く作用する(Arkes & Blumer, 1985)。
ポジションサイズを小さくすれば、含み損の金額(金銭的サンクコスト)も小さくなり、「ここまでの含み損を無駄にしたくない」という感情のインパクトが弱まる。1トレードの最大損失額を資金の2%以内に制限するルールは、サンクコスト効果の観点からも有効だ。
対策⑤:定期的にチャートから離れる
チャートを見続ける時間が長くなるほど、時間的サンクコストが蓄積する。「ここまで見てきたのだから」「もう少し待てば動くかもしれない」——これらは全て時間的サンクコスト効果だ。
OCO注文でSL/TPを設定した後は、意図的にチャートから離れる時間を作る。1時間ごとに5分だけ確認する、といったルールを設けることで、時間的サンクコストの蓄積を防ぐ。
対策⑥:デモトレードでサンクコスト耐性を訓練する
デモトレードではリアルマネーが動かないため、金銭的サンクコストが発生しない。しかし時間的サンクコストと分析労力のサンクコストは発生する。
デモトレードで「SLに到達したら一切変更せず決済される」という経験を100回以上積むことで、「損切り=正常なトレードプロセスの一部」という感覚を体に覚え込ませる。損切りを「失敗」ではなく「計画通りの結果」と捉えられるようになれば、サンクコスト効果の影響力は大幅に弱まる。
サンクコスト効果と他の認知バイアスの関係
サンクコスト効果は単独で存在するわけではない。他の認知バイアスと組み合わさることで、より危険な判断の歪みを生む。
確証バイアスとの組み合わせ
サンクコスト効果で「このポジションを手放したくない」と感じている状態で、確証バイアスが「自分のポジションに都合の良い情報だけを集める」方向に作用する。含み損が-80pipsあっても、「長期のトレンドは自分の方向だ」「あのアナリストはドル安予想だ」——反対方向の根拠は無意識にフィルタリングされる。
アンカリング効果との組み合わせ
エントリー価格がアンカー(錨)となり、「この価格まで戻るはず」という期待が生まれる。サンクコスト効果はこのアンカリングを強化する。「この価格でエントリーしたのだから、少なくともここまでは戻るべき」——これは「過去の投資を正当化したい」というサンクコスト効果と「最初の数字に引きずられる」というアンカリングの合作だ。
正常性バイアスとの組み合わせ
「まさかロスカットされるほどは動かないだろう」という正常性バイアスが、サンクコスト効果と組み合わさると特に危険だ。サンクコスト効果で「ここまで耐えたのだから」と判断が歪み、正常性バイアスで「これ以上悪くはならないだろう」と楽観が上乗せされる。結果として、最悪のシナリオへの備え(損切り)が完全に放棄される。
まとめ
サンクコスト効果は「勿体ない」という人間の本能的な感情が、FXにおいて致命的な判断の歪みを引き起こす現象だ。
サンクコスト効果の本質:
- 過去に投資した金銭・時間・分析労力が回収不能にもかかわらず、将来の判断を歪める
- Arkes & Blumer (1985)が実証。コンコルド効果とも呼ばれる
- 金銭的サンクコストが最も強い効果を持つ(FXでは含み損額)
FXでの危険な連鎖:
- サンクコスト効果 + プロスペクト理論の損失回避性 → 損切り不能
- サンクコスト効果 + プロスペクト理論の感応度逓減性 → ナンピン地獄
- サンクコスト効果 + 確証バイアス + アンカリング → 事実の否認
6つの機械的対策:
- SL設定後に一切変更しない → サンクコスト効果が最も作用する瞬間を機械的に封じる
- ゼロベース思考 → 「今エントリーするか?」で過去を排除
- トレード日誌にサンクコスト欄 → 自分のパターンを可視化
- ポジションサイズを小さく → 金銭的サンクコストのインパクトを低減
- 定期的にチャートから離れる → 時間的サンクコストの蓄積を防止
- デモで損切り100回訓練 → 「損切り=計画通り」の感覚を定着
最も重要な一文: 「ここまで耐えたのだから」——この言葉が頭に浮かんだ瞬間、あなたはサンクコスト効果の支配下にある。その瞬間こそが、損切りボタンを押すべき瞬間だ。
参考文献
- Arkes, H.R. & Blumer, C. (1985) “The Psychology of Sunk Cost” Organizational Behavior and Human Decision Processes, 35, 124-140.
- Staw, B.M. (1976) “Knee-deep in the Big Muddy: A Study of Escalating Commitment to a Chosen Course of Action” Organizational Behavior and Human Performance, 16, 27-44.
- LuxAlgo (2025) “Sunk Cost Fallacy in Trading Explained“
- Charles Schwab “Don’t Look Back: How to Avoid the Sunk Cost Fallacy“
- The Decision Lab “The Sunk Cost Fallacy“
- FxPro Education “Escalation of Commitment and the Sunk Cost Fallacy“
- Tait et al. (2019) “Loss Aversion as a Potential Factor in the Sunk-Cost Fallacy” PMC